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〈﨑谷直人氏に聞く〉Vol.2

前回に引き続きインタビュアーに足田久夢氏を迎え、公演前のインタビューを実施しました。(2023/01/12)




今回は1/22ブラームス/ピアノとヴァイオリンのためのソナタ全曲公演「SAKIYA PLAYS Brahmsに先立ち、﨑谷直人氏に各曲への抱負を伺いました。



足田: まず、ブラームスの室内楽を﨑谷さんがどのようにとらえているかお尋ねします。

﨑谷: ベートーヴェンと比較してお話ししてみたいと思います。よく「交響曲ばかりで、弦楽四重奏を知らないとベートーヴェンの理解は半分だ」などと言われるけれど、彼のシンフォニーと、第14番、15番などの後期のカルテット作品では、まったく別次元のクオリティーだと感じています。シンフォニーはオフィシャルに開かれている、わかり易く主題と変奏、などというように作曲しているのに対して、カルテットでは極めて私的な、より実験的な作品を目指している。個人的なことをものすごく詰め込んでいて複雑なんですね。だからシンフォニーを演奏する上で、カルテットを理解していないと弾けない、ということは僕の経験からはなかったです。別世界でクオリティと難易度が違うから。

 ところがブラームスは交響曲と室内楽の境がない、というか、どの作品を弾いても、互いに参照し合う感じがする。今回のヴァイオリン・ソナタもそうだし、弦楽四・五重奏、クラリネット五重奏とか、あの辺りを経験して、自分の中で嚙み砕いたことがあるかどうかは、交響曲を演奏する上でも違いが出てくる、と思う。ブラームスはちょうど古典と近代の節目に作曲していて、これは宮廷で、などと公私を分ける必要がなくなったのでしょうね。交響曲にも私的なものを詰め込んでいい時代、それがむしろ共感を生む時代に突入しているから、室内楽と交響曲で大きな差を感じないのです。だから交響曲第3番を演奏して、カルテットに役立ったとか、クラリネット五重奏を演奏した後に弾いた交響曲第4番が強く連繋していると感じたり、感覚上の隔たりがない。シューマンの交響曲もそうですね。細かいバランスの把握が必要で、そのために室内楽の理解は外せないのではないか、と思います。


足田: ソナタを弾くときに交響曲を意識するということですか。

﨑谷: そうですね。ベートーヴェンの後期カルテットは極めて革新的なのです。和音の塊があって、それをいかに展開させていくか、という和声の実験ですね。でも、ブラームスはピアノとヴァイオリン以外の楽器の音が浮かんでくるんですよ。オーケストラの色彩が、ソナタを弾いていて自然と出てくる。あ、ここ木管だろうな、とか。ここはヴィオラの中音域を重ねるんじゃないか、とか。


足田: なるほど、オーケストラ全体を見廻すコンサートマスターならではのご把握かと思います。ではソナタ第1番について聞かせてください。

﨑谷: 世界で一番好きな曲ですね。ブラームスで言えばクラリネット五重奏と並んで、クラシックでこれは外せない、という曲。

それで、ソナタの1番はまだ若い、甘酸っぱさを感じるんですよ。それに対してクラリネット五重奏は、晩年の哀愁、苦渋というんですか、終焉を見つめている感じがあって、感情で言えば両極にある曲だと思うんですけど、どちらも生命力に溢れていて、どういう風にでも捉えられる懐の深さがある。

たとえば、ソナタ第1楽章の第2主題に入ったところを奏者によっては映画音楽のようにロマンティックに歌うことも出来るし、哲学的に思索をめぐらしているようにも弾ける、いろんな可能性があって、その場その場で選んで弾くのがたまらなく好きです。弾く度に、今生きているブラームスと差し向いになるような。「さあ、君はどう弾く?」って髭の大男が碧眼で静かにみつめてくるんです。

2楽章も、とても緻密なんですよね。テンポ表記や指示、スラーとか怖ろしいほど繊細で、休符の使い方ひとつとっても、彼の人間性が滲み出るような、とても若々しい感情を楽譜に込めている。


足田: 休符と言えば、ソナタ第1楽章の冒頭、三つの連続する「レ」に絶妙なニュアンスをつけるアーテム・パウゼ(小休符)など素晴らしいですよね。

﨑谷: 生きた息遣いがそこに込められているんだと思う。細部にどれだけ感情を向けられるか、血を通わせられるかがこの曲の勝負なのだと思います。



足田: ピアノの沼沢氏と演奏の方向性は固まりつつあるのでしょうか。

﨑谷: 今回の演奏会を経て、ブラームスは4月にレコーディングもするのですけれど(今秋リリース予定)、その時までにまた変化するだろうし、彼とは桐朋の学生時代様々な曲をセッションしてきましたが、ソナタの第1番を一緒に弾くのは実は初めてなんですよ。

足田: そうなんですか。

﨑谷: だからすごい楽しみですね。自分自身も数回しか弾いていないのです。10年以上オーケストラやカルテットに専念してきて。でも常に頭の中にはありました。


足田: 第3楽章でブラームス自身の歌曲※①を引用したことについては意識されますか?

﨑谷: オリジナルの歌曲も聴いたんですけどね…。基本的に、シューベルト、シューマン、ブラームスの旋律はドイツ語の発音やアクセントに近いんですよ。だから、ソナタ第1番に限らず、全ての曲に歌を意識することが必要かな、と思っています。ハンス・フォン・ビューローでしたか、ドイツ音楽の系譜は3B(バッハ・ベートーヴェン・ブラームス)と称されるけれど、僕はシューベルトからの系譜というものがあると思う。ウェールズ・カルテットが、ドイツでハーゲン・カルテットのライナー・シュミット先生に指導を受けていた

時、シューマンのリート(歌曲)などを沢山弾かされたんです。ドイツ語の発音のようなボーイング(運弓)を散々、指導されました。ドイツ音楽の勘所を叩きこまれたんですね。だからわざわざ歌曲から、とか言うまでもない、と思う。そもそも全てが歌なんだ、という認識です。ブラームスはいつでも歌がしっかりとあって。モーツァルトは、もちろん美しいメロディも沢山あるけれど、より器楽的な、装飾的な要素が多く、リートの要素と器楽的要素をはっきり分けているのです。



足田: シューベルト・シューマン・ブラームスの系譜というのは大変示唆的ですね。次に、ソナタ第2番についてですが、ほかのソナタに比べて地味、などと言われたりしますが…とんでもない。聴けば聴くほど虜(とりこ)になってしまいますよね。この魅力を、ぜひ﨑谷さんの言葉で教えて欲しいと思います。

﨑谷: 2番はねえ…まあ、大人の音楽ですよね(笑)。何も起きてないようなんですよ、ちょっと聴くと。静かだけれど、その中に微細な移ろいがいっぱいあるんですよね。ソナタ第1番ほどわかりやすくロマンティックではないけれども、小さなディテールを緻密に構築していって、特に2楽章ですね。テンポが変わるさまとか、ほんのちょっとのアゴーギグ(緩急)の付け方で一瞬にして世界観が変わっていくし※②。かと思うと3楽章は朗々としていて。けれども、ほとんど大きな音を使ってないんですよ。だから「やりすぎ厳禁」なんだけ

ど、この淡い、ひそやかな移ろいを愉しめないと音楽にならない、という渋さがたまらなく好きですね。

昔、指揮者の鈴木秀美氏から、ハイドンのロンドン交響曲だったかな、リハーサルでこう言われたことがあるんです「ここは変奏曲がずっと続くだけでつまらなく感じるけれど、想像してほしいのは、例えば毎日、屋敷から見ている景色のなかで、ちょっと昨日より日没が早くなった、とか、葉が色づいた、とか、そのくらいの小さな変化を見逃さないように弾いてほしいんだ」と、おっしゃってたんですよ。そのままソナタ第2番に当てはまるかと思います。

足田: なるほど!レイモンド・カーヴァーの本の題名ではないけれど「ささやかだけど幸せなこと」ですね。

﨑谷: 今回、演奏を聴いてどう感じるか、何を受け取っていただけるか、お客様によって一番違うのがこの曲なんじゃないかなと思っているんです。

足田: わかりやすいメロディで引っ張っていくのではないが、確実に心躍らせるだろう、でも感動は押し付けない感じ、それぞれで受け止めてくれればいいんだ、という…それが一言でいうと「大人の曲だな」となるのですね。

﨑谷: その通り。あと、ピアノの沼沢氏とこの曲を合わせていて、頭で思い描いてたのと全然違うことが次々と起こるんですよ。ヘミオラ(変拍子)の捉え方だとか、リズムの出し方とか、これはウェールズ・カルテットではまず起きない現象です、良い意味で。ああそう来るんだ!という驚きがありますね。自分にない引き出しを開けられてます。



足田: おふたりにケミストリー(化学反応)が起こっているのですね。素晴らしい。では最後にソナタ第3番についてお願いいたします。

﨑谷: 19、20歳くらいで沼沢氏とやたら弾いていたことを思い出すんですよ、この曲は。それで当時の録音を聴いてみると、なんだかお互い自分のセンスだけで弾いてる感じで、尖がってましたね。格好つけてフラジオ(フラジオレット:倍音)とかギュン、と入れてたりして。それで、その部分を今回演奏していると「昔みたいにギュン、てやらないの?」とか沼沢氏がよく覚えているんですよ。現在の発想では絶対出ないようなことをね。でも、なんだか格好いいんです。ブラームスとして正しいかどうかじゃなくて、そんな「個」の部分も、今回は出していいんじゃないかと思ったりしています。


足田: 同時期に作曲したソナタ第2番の明朗さと違って、老いの自覚や友人の死によって曲調が内省的に、などと解説には書かれがちですが、そのような陰影も含みつつ、ベートーヴェンの巨大な影と格闘した青春の日々を振り返って、情熱をあらたに奮い起こしている曲だ、と感じます。

﨑谷: そのままシンフォニーになる雄大さがありますしね。学生当時の演奏と、現在この曲を弾いてみて明らかに違ってきたのは、その間にオーケストラを経験したからです。これは全く神奈川フィルのおかげですが、ブラームスを沢山弾かせて貰いましたから。オケを経験すると曲の捉え方に奥行きが出来るのです。

シェーンベルクがブラームスのピアノ四重奏をオーケストラに編曲しているでしょう、やりたくなる気持ちが凄く分かるというか、ソナタ第3番を弾いていて頭の中で鳴るんですよね、オーケストラが。それで楽器を演奏する元の同僚の顔まで浮かんでくるんだもの。…さんが吹いたり、…さんが弾いてたりするのが、それはもう鮮明に。ピアノの沼沢氏にもお願いしているんですよ。ここの低音部はチューバみたいな響きの距離感が欲しい、とか。

オーケストラと室内楽の一番の違いって、思うに演奏者間の距離感なんですよ、実際に音が到達するまでの距離がピアノとヴァイオリンとの間だけで片付かないような空間に広がりがある。それが今回、第3番の演奏で表現したい眼目のひとつだと思っています。

ブラームスの面白いところって、彼の作曲した頃がちょうど楽器の変革期だったこともあり、ものすごい進歩があった。例えば、ピアノだったら持続音・低音が効かないフォルテピアノからベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、スタインウェイ、といった完成形がこの時期一気に出揃うし、ヴァイオリンも、偉大な奏者としてヨーゼフ・ヨアヒムがブラームスの傍らにいたわけです。でもヨアヒム以降、ドイツのヴァイオリン史は、戦争などで一旦絶たれてしまう。それが一気にイザイだったり、クライスラーだったり、皆パリに集って独奏ヴァイオリンの主戦場がドイツからフランスに移行する。楽器もどんどんモダン楽器に進化していって。そういう移行期の音楽・演奏に魅かれるものがあるんです。

ある意味ベートーヴェンくらいまでは、文献としてどう弾いたかというのは残っているのです。レオポルド・モーツァルトの書いた教則本等に概ね準じていたのですが、モダン楽器に進化していく中でそれが曖昧というか、規範から自由になっていく、奏者としては本当に面白い時代だと思うんです。


足田: ブラームスの交響曲の時代、金管楽器もバルブ式に移行したのだけれど、ハンドストップ奏法時代のくすんだ音色や自然倍音中心の旋律に作曲者はこだわりがある、そんなジレンマが聞き取れますが、﨑谷さんだと、弦楽器で痛切にそれが感じられる訳ですね。

﨑谷: そうなんです。だから交響曲の演奏でも、この時期のブラームス、シューマン等は、皆にもっと「妄想してほしい!」と思うんです、まさにダイナミックな過渡期にある音楽なんだ、って考え出したらブラームスの世界観が俄然広がるんじゃないかと。

今、僕の年齢で、シンフォニー、コンチェルト、カルテットと経験を積んでソナタに回帰してきた、という﨑谷直人の現在形を提示できたら、と思っています。


足田: 本日はありがとうございました。


註)

※① 第1ソナタ:第3楽章主要主題の基となった歌曲

本曲は絶対音楽を極めた傑作であると同時に、かつてブラームスが名付け親となった、

ロベルトの息子フェリクス・シューマンの死を悲しむ母クララを慰めるメッセージとして

の私的側面も持つ。   

第2楽章の葬送的主題では共に悲嘆し、第3楽章の「雨の歌」変奏で、在りし日の息子を

偲ぶ悲しみから、より普遍的な幼年時代の記憶へとノスタルジックに導き、母親の心を安

らげている。参考として、作曲家の親友である詩人クラウス・グロートの原詩を抄訳して

おく。   


雨よ、降れ

稚(いとけな)き日の、砂も泡だつ大降りのように

ものうげな炎暑の夏を雨脚が過ぎ

麦の靑をいっそう暗くした日のように

草原の雨にはだしで立った爽快さ

ほてった頬をその草つゆにつつむとき

おさな心が花々に似て、雨に咲(わら)った日のように

したたりにつめたくふるえ

鼓動がきゅっとちぢみあがる

これが天地の息吹なのだと子どもが畏れた

あの雨音を


※② 第2ソナタ:第2楽章のテンポの変化

アンダンテ・トランクィーロ(穏やかに、歩む速度で)と、ヴィヴァーチェが交互に展開する、愛らしい楽章である。vivaceも速度用語としてではなく、イタリア語本来の「生き

生きとした」という発想用語としての意味に立ち帰っている。Vivaceの語幹vivoは「生き

る」、Viva!「万歳」は直訳すれば「生きよ!」という意味になる。

同様に、ソナタ第3番:第3楽章のスケルツォも、ベートーヴェン交響曲第9番、第2楽章

の怪物化したscherzoではない、本来の「冗談」という意味で、ほほえみと機転に満ちて

いる。

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